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ノズコレ流6輪生活の親愛なるパートナーの一人が、タウンエースバンGL/1.5L/4ATです。
ノズ・コレの所有するタウンエースは、昨年の2020年10月中旬に、晴れて10万km突破。5年以上長らく乗り続け未だに不思議に思うのは、運転席の材質と形状。ゴージャスな乗用車向けシートではなく、真横から見れば、幾分薄めの座席厚さに不安感がよぎるが、ロングドライブでも意外と疲れないのです。
長年使用のヘタリはない様子。
カタログ燃費は12.2km/L。
同じく昨年6月、タウンエースの家元のダイハツから、グランマックスが突如発売となりました。LED灯採用のヘッドライトは、半眼のすまし顔のイメージ。販売目的は日本経済のさらなる発展寄与にためとのこと。
愛車搭載のデジタル燃費計「OBD-Driver」による計測表示は、画像上段左から右へ。続いて下段左から右の順序で、(1)スタート→(2)冨春院で13.08km/L(17.8km走行)→(3)好徳寺で12.98km/L(19.9km走行)→(4)半僧坊浜松別院で12.11km/L(24.9km走行)→(5)最終の円福寺で11.30km/L(54.8km走行)となりました。 |
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私のオリジナル燃費グッズのデュアドシリーズのエネルギー源は、トルマリン(電気石)です。ベルト状にして、ラジエターホースやエアダクトに抱きつかせるタイプで、トルマリンシートと銅板を交互に積層する構造。最上部には、極めて導電度の低い金属−いわゆる「反射材」を被せています。
トルマリンを含む素材として「エコ・トルマリンシート」は、自作燃費グッズには最適な材料のひとつ。
ところで、トルマリンシートを使った燃費グッズの耐用年数は、どのくらいでしょうか。1年以上もそのままでは、ヘタリとかヤツレなどと、考えてしまいます。不安が脳裏をよぎるので、インターネットで検索すると、
「エコ・トルマリンシートの効果は、半永久的である」
と記されているものの……。
迷いがあれば、側、実行して行動しよう!
そうすれば、モヤモヤした気持ちは吹っ切れます。
2021年もにわかに春めいてきました。
貴宝石パウダー入りコーティングされた銅板はそのまま使用続行。分解してはだけたエコ・トルマリンシートは、バッサリと切り捨て。新生デュアドの外側のお化粧するテープシートの見合うテープの在庫がなく、なんとなく、キッチン用アルミテープを採用しました。
気ままにリメイク。後ほどエンジンルームを眺めると、目立ち過ぎ。 |
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昨年10月半ばで、マイカーのオドメータは10万km突破!
一冬を超えた2月中旬では、10万5千kmあたりを示していました。静岡県西部地方でも、真冬になれば真冬の寒さがヒトにもクルマにも影響があります。満タン給油毎のマイカーの平均燃費は、この時期にはガタンと落ちます。それまでの給油タイミングは、燃料タンク容量43Lのタウンエースでは、液晶の燃料計目盛りのヒト目盛りが点滅を始めてから、+10km走行前後で満タン給油。このとき、トリップメータは、400km以上を表示していました。
コロナ禍の真っただ中では、ロングドライブを自粛。
当然、通勤だけにしかマイカーを使わないので、街乗り燃費のまんまの正直で平凡な数字のオンパレード。
このままでは、燃費にこだわるノズ・コレのメンタル状態はまさに不完全燃焼。イイところが全くないのです。
さて、気がつけばオイル交換の時期を逸していました。
給油毎の平均燃費も、ガタ落ちの9km/L台。
オイル交換のために、スーパーオートバックス浜松に出向くと、エンジンオイルのコーナーに、いつものトヨタ純正5W-30が1缶もありません。
空いたその陳列台のお隣には、2千円高のMobil 1が−。
画像では、枯れた芝生に、2種類の銘柄のオイル缶が並べてある。
ということは、あえてこれ以上説明する必要はないでしょう。
自作燃費グッズのエネルギー源の交換、エンジンオイル交換の定期的メンテナンスを済ませた愛車のレスポンスの良さは格別。タウンエース流のんびりドライブが楽しめます。
春の息吹が感じられる時期です。遅まきながら、七福神めぐりに出かけます。 |
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静岡県西部地方の七福神めぐりは2つ有ります。同じ七福神でも「浜名湖七福神」に対し、本サイトで取りあげるのは、「浜松七福財天」(はままつしちふくざいてん)が、正式名。
一般に使われる「浜松七福神」に戻して、七福神めぐりをスタートします。
東名高速浜松ICを通過して、国道1号線バイパスを南進。国道150号線との交差点を右折して西進に変わります。南区小沢渡町あたりから、カーナビ表示と道路北沿いを注視しながら、第1零場の「長松山冨春院」(ふしゅんいん)を目指します。
150号線の道路から目的地確認。ハンドルを切り右折すると、両側が瓦葺きの白壁に囲まれた表参道兼駐車場が視界に跳びこんできます。
浦島太郎ではないけれど、地上に移設された竜宮城のイメージの強い山門がお出迎え(画像参照)。
帰宅後、ネットで調べると、「竜宮門」とのこと。通路部は漆喰塗りの袴腰。赤と白のコントラストが美しい楼門の一種です。竜宮門といえば、江の島神社の瑞心門(ずいしんもん)が頭に浮かんできました。
さて、画像の解説に戻ります。
山門の左に見えるは、山号どおりの長松。
冨春院の御本尊は、延命地蔵菩薩。臨済宗方広寺派の寺院。
本堂に入り、御本尊に両手を合わせます。寿老尊天は、本堂内右手奥の仏堂に祀られています。本堂や境内には、たくさんの仏像が見守っておられます。
目には見えない何かをいただける時間(とき)を過ごしました。
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浜松七福神の第2零場は、冨春院からクルマで2km走らせて、福寿山好徳寺へ。
駐車場にクルマを止め、二つ並んだ「臨済宗方広寺派」「福寿山好徳寺」の石塔に囲まれた参道を進むと、手入れされた草木が美しい境内が広がっています。
今では珍しくなった二宮金次郎像は、ぜひ見ておきたい当寺のチェックポイント。二宮金次郎こと二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。
めざす七福神の一人、布袋尊は本堂に入って左手奥に、木彫りの形で祀られています。まず、好徳寺の御本尊の、弥勒菩薩を参拝します。
祀られている布袋尊は、中国の唐の時代の和尚様とのことですが、実は当寺の御本尊、すなわち弥勒菩薩の化身とも言われています。
布袋尊の特徴の福々しい耳とお腹は、福徳、大人物となり、子宝に恵まれるとは福徳円満につながります。杖と袋を常備しているので、困った人々を助けてくださるのです。
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福寿山好徳寺から浜松市街地へ。
およそ5km走行後、浜松七福神第3霊場の半僧坊浜松別院「正福寺」に到着しました。
御本尊の半僧坊大権現に参拝するまえに、まずはデジカメ撮影から。画像は、正福寺の山門にあたる、いわゆる正面玄関からのショット。このとき頭上から、ふだんは聞きなれぬ小鳥の鳴き声。見上げた桜の枝にとまっていたのは、メジロでしょうか。
当寺は、昔から”高町の半僧坊“と呼ばれ、市民に広く親しまわれています。明治時代初期、臨済宗大本山方広寺の浜松説教所として開設したが、戦災ですべて焼失とのこと。現在は鉄筋コンクリート二階建ての作り。布教伝道のため、研修、集会などの多目的に利用されています。
参拝のため、しずしずと本堂へ。中央真ん中に半僧坊が祀られ、右側に福禄寿尊天が祀られています。
福禄寿尊天は、南極老人星の化身とも。身長は短く、頭は長く美髭をたくわえ杖頭に教巻を結び、常に白鶴をお供にしています。ご利益は、長寿長命、知徳を授かり人望が高くなりといいことずくめです。
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浜松七福神零場の第4番目は、東名高速ICあたりの浜松市東区下石田町の石田山養源寺(ようげんじ)です。半僧坊浜松別院から、およそ5kmの距離にあります。
画像でおわかりのように、白い小石で敷き詰められている境内は、きれいでとにかく明るいのです。ソテツの濃い緑色。浜松七福神の幟(のぼり)の赤色。敷石の白のコントラストが美しく、小規模ながらの異空間のよう。
養源寺の御本尊は、延命地蔵菩薩。
住職にご挨拶ということで、本堂横の寺務所のチャイムを鳴らすと現れたのは、有名な映像作品に必ずといっていいほど出演している江口のりこサン……。によく似た楚々とした女性でした。これは、レベル3級のサプライズです(笑)。
養源寺の本堂内に祀られている七福神は、毘沙門天です。
仏教の教えでは、四天王の一人で北方を守護しています。左手に宝塔で広大な功徳が授かり、右手の宝珠は無量の財宝を授かります。家福を財宝に変えて、家内安全、悪魔退散。これらを祈願すれば家庭円満。
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養源寺からクルマでほんの2,3km走り、浜松七福神霊場の第5番目の円実山常久院に参拝します。
開創は、元亀元年(1570年)と伝えられ、歴史上では先の石田山養源寺が1592年と伝えられているので、ほぼ同じ時期とみられます。
御本尊は、十一面観世音菩薩。観世音菩薩の変化身のひとつで、頭部に11の顔を持つ菩薩です。功徳は、一種勝利を担い、およそ人々が日常生活で遭遇する10の災いから救われるという誠にありがたい観音さまです。
ここ常久院を訪れたとき、山門のまえに形よく造形される、2本の大きな松に圧倒されます。
パワースポットのガイド本の、静岡県+周辺/七福神めぐり/メイツ出版を開くと「山門の前の大きな松が印象的」と記載されています。画像参照。
本堂内に、めざす恵比寿尊天が安置されています。
徳川家康公の伯父の、教翁上人より
「幸運は自然にして至るもの。気を長く持て。そして一度手にした幸福(鯛)を守り続けよ」
と教え諭されたとのこと。その後に、天下という大鯛を釣りあげました。
恵比寿尊天の功徳は、商売繁盛、大漁満足、海上安全、財福自集。
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甘露寺の本堂 |
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浜松七福神霊場第6番は、浜松市街地より北進して天竜区との中間あたり、東区中郡町にある、法雨山甘露寺。
臨済宗方広寺派の古刹。御本尊は、釈迦牟尼仏。
甘露寺の要チェックポイントは、桃山形式の建築技法を伝える中門です。1467年応仁の乱で全焼、さらに1864年に中門と楼門以外は焼失。焼け残った中門は、歴史的建造物として、文化財に指定されています。
画像をご覧ください。本堂と中門の屋根瓦の色の違いに注目。歴史の変遷を感じ取ることができますね。
画像から、前庭を両袖に分かつ参道から中門、その向こうに本堂をみることができます。撮影した2月中旬は、紅白の2つの梅が、やさしく迎えてくれました。
境内には徳川家康公が浜松城在城中に観梅にため、たびたび立ち寄り香気を賞賛された甘露梅の木があります。また、賀茂真淵翁も歌会を催されたといわれています。
中門とは離れて、弁財天は安置されています。弁天様は梵天王の妃で、才色兼備と想像するや、甘露寺住職が言われるに、
「お堂内にあります。御像は真っ黒です」 |
円福寺とタウンエース |
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浜松七福神霊場の第7番目を締めるのは、宝池山円福寺。
第1霊場の冨春院から55kmの道のりを経てやってきました。
御本尊は、延命地蔵願王菩薩。大黒天を安置。
画像をみれば、遠州地方独特ののんびりとして殺風景で、つかみどころのない印象・雰囲気を感じるかもしれません。
そのとおり。円福寺は浜松市北区にあり、北には天竜区の山林を眺められる小高い丘陵の頂に当寺はあります。境内全体は緩やかに湾曲していて、そこから醸し出されるのどかさは特筆もの。
今回の『浜松七福神めぐり〜燃費グッズのメンテ〜』の【付録】特集に、円福寺を選んでみました。
再度、画像にもどりますが、山門左手の2本の木の不可思議な存在感は何だろう。タウンエースをドライブして、半日かけて、浜松七福神めぐりの終わりに、本寺に到着しました。 |
【付録1】円福寺の本堂 |
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改めて、浜松七福神霊場のひとつの宝池山円福寺の紹介。数年前に七福神めぐりの一寺として参拝しました。
浜松市街地や平野部から離れた地にあり、北方は、都田川と天竜浜名湖線の電車が通り、その向こうには北区や天竜区の山林が連なっています。東側を見れば、眼下には常葉大学浜松キャンパス内にある円形のトコハドームが目に入ります。
地方都市の喧噪や人いきれなど、一切を断つ田園空間がギュッと凝縮されたような感慨が、円福寺に対する私のファーストインプレッションでした。
丘陵の頂に位置する本寺境内にある石碑らしきものには、長寿、学問、健康、安全、厄除け、合格、開運、出世、繁昌などの文字が彫られています。これら全ての願い事を受け入れると解釈すると、なんと懐の大きな観音様でしょう。
本堂で、御本尊と大黒天を拝んだ後、住職の新野さまから講話をいただきました。
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【付録2】京都大徳寺風の庭 |
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神社仏閣のパワースポット巡りが趣味の私が、寺院参拝で必ず拝観するように心掛けているのは、御本尊と庭園です。
京都の名刹のように歴史そのものにどっぷりと浸るまでもありませんが、円福寺の鐘楼のとなりの日本庭園は、お勧めスポットの一つ。
本堂に掛けてある木製看板には「京都大徳寺風の庭」と黒字で彫られていますが、「円福寺十七世徳宗」と付記されています。
住職の新野さまから、帰り際にいただいた著書「家康公 四百年忌に寄せて」の巻末と背表紙に、「新野徳宗」とあるので、庭園の看板の大板も住職さまの手がかけられたものですね。
画像は、件の京都大徳寺風の日本庭園です。
遠く北区や天竜区の山野の借景を生かした趣のある庭園です。
白い玉砂利の島の岩あたりは、大徳寺の龍源院 方丈前庭のイメージを受けました。中央部にポツンとある木札「侘助」は、わからず仕舞いでスルーしていました。が、侘助椿(わびすけつばき)のことと住職さまから教えていただきました。
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【付録3】大黒天と恵比寿尊天 |
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本堂横の鐘楼をすり抜け、庭園前の通路の奥には、画像のように、大黒天と恵比寿尊天の石像が並んでいます。
浜松七福神めぐりで、円福寺でお目にかかるのが大黒天とされていますが、目の前に揃う恵比寿尊天と同時参拝となれば、ご利益は2倍3倍……。と考えるのは、私がまだ欲深の俗人の領域を脱していない証拠(笑)。
大黒天の御利益は、福入開運、五穀豊穣、家内安全、工場安全、諸祈願成就。
恵比寿尊天の御利益は、商売繁盛と勤労の喜びを授けてくれること。健康で働けることに感謝。
さて大黒天に願掛けしようと本堂内に入ると、安置されている御本尊の左側には、なんと木造の七福神全像が揃っているではないでしょうか!
やがて、数年前にもこのような御対面のあった記憶が、うっすらと甦ってきました(苦)。
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